2005/08/26

アフリカ時間

生活費を日本から送金してもらうにあたって銀行口座を開くことになりました。アフリカの銀行もいいけど、やはり欧米系の方が何かと都合がいいと思い、フランス系のソシエテジェネラルを選びました。

先日、窓口のお姉ちゃんに聞いたところ、口座開設にはパスポート、居住地証明書、そして現金20万フランの3つが必要とわかり、まずは地元の警察署でその証明書をなんとかもらって、この日、銀行に出直したわけです。

改めて口座開設用の窓口に案内されて行くと、今度はパスポートではなく、「証明済みのパスポートコピー」が必要だという。なにやら、パスポートをコピーしたものを警察に持っていって、そのコピーが本物と相違無いことを証明してもらうらしい。てか意味不明。だってここにパスポートあるじゃん!これのコピー取ればいいじゃん!っていう訴えも空しく、警察署へ向かう。

着いてから、証紙として100フラン切手が必要だとわかり、郵便局へ行ってからまた警察署にカムバック。なんだか色んなアイテムを集めるRPGをやってる気分だ。警察に戻ると、担当窓口には行列が。10分ほど待ったところで担当者が「ただ今11時を持って午前業務終了!午後は2時半からだ!」って。・・・はぁ。ありえない。

どうにか3時間半を潰し、警察署に戻る。一応、時間通り2時半に再開。順番を待って、必要書類を出すと、「はい、じゃあ4時に取りに来て」って・・・。ハンコ押してサインするだけじゃん!なんでそんなに時間がかかるんだよ!ってちょっと抵抗したけど豆腐に鎹、糠に釘。意味なし。

今日は一日炎天下を歩き回っているせいで、もうヘトヘト。時間を潰すのも限界で予定より30分早く行ったらこりゃ意外、書類は出来ていた。やっぱりハンコを押してサインをしてあるだけだったけど。その後銀行へ戻り、ようやく口座を作ることができました。

パラパラッパパッパー♪ゆうきはアフリカレベルが1あがった!体力が2あがった!知力が1あがった!とくぎ「忍耐」をおぼえた!・・・。

2005/08/21

闘病

到着から2週間、早速、体を壊しました。経過報告です。

<19日金曜日>
朝、起きてみると体がダルい。頭が痛い。熱っぽい。腹が痛い。吐き気がする。トイレに行ったら吐きはしないものの、下痢。

風邪か?マラリアか?原因を考えてみる。昨日の夜、暑くてほとんど何も着ない状態+扇風機を付けっ放しで寝たから体が冷えたか。OR 昨日の夜食べたハンバーガーが当たったか。OR 10日前に刺された蚊のマラリアが発症したか。

「マラリアの潜伏期間は12日前後。初期症状は風邪に似ているため、風邪だと勘違いして死に至るケースも稀ではない。」ってどこかに書いてあった。やばくね?

と思い、日本大使館に電話をしたら医務官が診てくれるというので、直行した。大使館の中にちゃんとした診察室があり、問診のあとにその場でマラリアの血液検査までしてくれた。かなりドキドキしたが、幸い結果は陰性。ほっ。恐らく食中毒の類だから、水分だけ沢山とって休んでいなさい、と言って抗生物質や整腸剤などの薬をくれた。ちなみに検査も含めこれら全て無料。日本って素晴らしい国だ。

取りあえず寝て過ごすも熱は下がらずつらい時間が続く。腰とか足の間接も痛い。夜、こんなこともあろうかと思って日本から持ってきたウイダーインゼリーを飲んだ。ちょっと生き返る思いがした。

夜中、水を飲みに起きたあと、ふーっと気が遠くなりかけた。貧血・・?と思いベッドに駆け寄るも間に合わず、その場に倒れこんだ(ようだ)。扇風機が激しい音を立てて倒れたのを聞いた。そのまま気を失って床に倒れたらしく、しばらくして気付くと右の頬骨がちょっとヒリヒリした。結局、何が起きたのか正確にはわからないが、メガネが割れなくてよかった、と思って寝たのを覚えている。

<20日土曜日>
朝起きると、腹痛は無くなっていたが、熱が引いていない。そして今度はノドが痛くなっていた。どちらかというとノドの奥のほう。その延長で胸(肺?)まで痛い。まさか肺炎になるのか?踏んだり蹴ったりだ。泣き面に蜂だ。弱り目に祟り目だ。

鏡で昨晩の事故の痕を見た。やっぱり右頬にアザができている。ついでに首と肩にも3つほどアザを発見。大分激しくぶつかったようである。事故相手の扇風機、中国製の安物なのだが根本からおかしな角度に曲がっている。弁償するのは嫌だなぁと思いつつ、真っ直ぐになるように曲げなおしてみたら意外とあっさり直った。足元が多少ガタついてはいるが、動作に支障は無さそうだ。よし。

多少、元気が出てきたので昼食は近くのレストランまで野菜スープを食べに行った。前にも食べたがまあまあ食べられる味である。ちなみに腹を下した原因かと思われるハンバーガーを食べたのもこの店。ちょっと自殺行為気味だが、まあ大丈夫だろう。

その後も熱は下がらず頭痛も続く。夜になっていよいよ胸が痛くなり、かなり寝づらい。いっそのこと昨晩のように気を失ってしまいたいものだ。

<21日日曜日>
起きると、熱と頭痛が引いていた。喉と胸の痛みは多少残っているものの、こちらもいくらかよくなっている。紅茶とパンの朝食を摂り、このブログを書く余裕も出てきた。

やはり若干虚弱体質な自分の体を考えると、今後途上国の開発に携わっていくにあたって、現場で、最前線で活動するよりも日本にいてそういったフィールドワーカーをサポートする側にいる方がいいのかなぁ、なんて思ったり。

まあ、とりあえずはあと4ヶ月。無理をしないように、健康第一で行きたいと思います。

2005/08/17

日本の政治、日本の首相

今日、セネガルの新聞に日本のことが出ていました。小泉首相のアップ写真とともに。

セネガル政府は肥大化が止まらず、現在30以上もある省が予算を食いつぶしているそうです。記事では10省しかない日本の政治体制が良いモデルとして紹介されていました。また「セネガルでは汚職や予算の不正使用が横行しているが、日本では議会の承認なしの支出はあり得ない」、とその透明性を賞賛。日本の政治もそんなに良いわけではないと思いますけどねぇ。

またセネガルの大統領が自己アピール&諸国遊説のため政府専用機を過度に利用していることを批判し、「日本の首相は自分自身を外にアピールすることはしていない。日本の首相の名前を知っているアフリカ人、アメリカ人、ヨーロッパ人が一体どれだけいるだろうか?日本のメーカーの名前は誰でも知っているが首相の名前は誰も知らない。これこそあるべき姿なのでは?」なんて書いてありました。褒めてるのか、バカにしてるのかよくわかりませんね。

2005/08/15

詐欺?

昨日、給水システムを修理したとのことだが、いまだに水の供給が不安定なため、2階の部屋に移ることにした。5階からの素晴らしい眺めは惜しいが水には代えられない。

新しい部屋に移って間も無く、薬の処方箋を手にした女の人が訪ねてきた。いわく、「息子が病気だが、7500フランもする薬を買う金が無い。少し寄付してくれ」とのこと。古典的な詐欺みたいだなあ、と怪しく思いつつ、ちょっと聞いてみると、彼女はここに住んでいるらしい。息子さんは咳をしているらしい。

でも結構きれいな格好しているし。アクセサリも沢山つけてるし。ほんとに金ないのかよ?しかもこれであげて、またタカられたりしたら嫌だなぁ。なんて色々考えてみた。ま、少しくらいならあげてもいっかな、と思ったが財布には5000フラン札(1000円相当)しかない。2000フランくらいならあげてもいいけど、5000フランはさすがにあげられないよなぁ。こっちも学生だし。というわけで帰ってもらった。


真相はどうなんでしょうねぇ。

2005/08/13

水と豊かさ

今、使っている部屋は給水システムの故障?のため夜中の12時頃から朝の5時くらいまでしか水が出ない。というわけでいつも朝4時くらいに起きてシャワーを浴びているのだが、今日はどういうわけかこの時間でも出ない。ついに夜もダメになったか、と思い翌朝管理人に聞いてみると、今日はダカール中で断水だとか。やれやれだ。

日本で「豊かさとは何か?」、「経済が発展しても良いことばかりではない」なんてよく聞くけど、やっぱり経済大国でインフラが完備されてて安全な水がいつでも手に入る日本人は幸せなんじゃないでしょうかね。気付かないだけで。「病気になって初めて健康の大事さが分かる」っていうのと一緒じゃないかな。

関連して、「経済発展したから、こういう社会問題がある。従って途上国の経済発展をやみくもに推し進めるべきではない」、なんて議論もあるけど、違うと思う。あくまでも「経済が発展しても解決できない問題もある」という方が正しいんじゃないかと思います。

Journal Senegalaise -Suite-

8月12日(5日目)
<NGOと調査研究>
ここの事務所、実は2つのNGOが共同で持っている形になっている。一つはDr.SyがやっているAid Transparency、もう一つはDr.Syの奥さんでもあるMrs.FallがやっているAWOMI(African Women Initiative for なんとか)両団体あわせてスタッフは6人。Dr.Sy 夫妻、前述のセネガル人Robert、ウガンダ出身のSandra、ナイジェリア出身のJustice、そして日本人インターンの僕。結構国際色豊かである。

そして今朝、この6人でミーティングが開かれた。僕の研究計画を説明して今後の方針を決めた。タイトルは「教育支出の地域間格差」。調査と研究が順調に進めば、帰国する前にUNESCOもしくはダカール大学で発表してはどうか、また今度Dr.Syが出す本の一部にしてはどうか、なんて提案をしてくれた。実現性がどうであれ、Motivationは上がりまくり。

<大使館訪問>
午後は日本大使館へ挨拶に。領事の方がすごく親切で、特にセキュリティーについて、街中でどういう犯罪が起こっているか、どういうことに気をつけたらいいか、などを色々説明してくれた。まあ、早い話、面倒を起こされたらあちらが困るということもあるのだろう。

代わって医務官が健康面について助言をくれた。曰く、ダカール市内ではマラリアを媒介するハマダラ蚊を見かけることはほとんど無いため、市内にいる限り、あまり心配することは無い。大使館スタッフも予防薬の類は一切飲んでいないとのこと。先日蚊に刺されてビクビクしていたが、少し安心した。薬の副作用も怖いが、まあ念のため取りあえずは飲み続けることにする。

2005/08/11

Journal Senegalaise

ようやくネットに繋がったのでこれまでの日記をアップします。

長いので、お暇なときにどうぞ。

一日目
太平洋と大西洋を越えてDakar空港へ到着。どちらかというとセネガル行きに不安を覚えているせいか、時間が経つのが妙に早く感じられた。あたりはまだ暗い。空港で所定の用紙に必要事項を記入して入国審査官に渡したところ、滞在先のホテルが決まっていなかったため、連れの人を連れてくるようにいわれる。先に荷物検査を通って外へ。薄暗がりの中でDr. Syが来てくれていなかったらどうしようとかなり不安になったが、いた。本当にホッとした。Dr.SYが入国審査官に事情を説明すると一応納得してパスポートを返してくれた。一瞬、ワイロを要求されるのでは心配したが無用だった。

Dr.Syの車で彼の家へ。途中、物乞いの少年たちが走っているのをみた。ドクターの説明によると、彼らを組織して金を巻き上げている連中がいるらしい。道路の舗装はしっかりして、去年行ったギニアとは大違いである。Dr.Syの家は豪邸だった。きれいなビーチに面している2階建ての建物でまだか
なり新しい。この家に落ち着くのは大分久しぶりらしく家具はまだアメリカから運送中とのこと。そこで朝ごはんをご馳走になる。コーンフレークとパン、チーズとコーヒー。ミルクは缶入りの濃縮タイプだった。朝食をとりながら今後の説明を受けた。

まず最初は家を決めることだ。ダカール大学のゲストハウスがオススメということで9時ごろにそこへ向かった。大学からはちょっと離れたところにあるゲストハウスは新しいつくりで結構きれいだ。一階にはインターネットカフェもある。5階のStudioが気にいり、ここに決めた。眺めは抜群、キッチン&バス
ルーム付き。が、日中は水が出ないことが判明。それくらい別にいいかな、とも思ったけど使ってみるとかなり不便だ。水のでる下の階の部屋は週末にならないと空かないらしいのでそれまでは、この部屋で暮らすことにした。

その後事務所スタッフのRobertに連れられて両替に行く。銀行によってレートはマチマチで最初の銀行は1ドル480フランCFAとかなり悪い。結局、「町金」のようなところで550フランで替えてもらった。1000ドル分両替したから最初のところと比べたら70000フランも違う。大体5で割ると日本円になるので、約1万4千円の差だ。これはでかい。

次に携帯を買うことに。Robertの知り合いの店に行って中古携帯を28000フランで購入。液晶は白黒表示で日本だったらタダでも売れない代物だが仕方ない。ちなみにこの店、店とはいってもかなり汚い闇市場のような場所だ。日本とは違い、携帯本体とそのサービスは別売りである。サービスの方も街中のインフォーマル業者から買った。通常よりも1000フラン高いが、パスポートをコピーしたり、住所を書いたりと言った面倒なことをしないで済む分よい。ちなみに売る側は4?5人でこの携帯の登録作業を進めていた。全部終わった後に報酬の1000フランをどのように配分するかでもめていた模様。

アジア料理屋で昼食を取ったあとにScoreというスーパーへ。輸入物ばかり置いてある店で、中はフランスのスーパーそのもの。野菜も新鮮なものが沢山おいてある。ねぎや白菜もあったし、そのうち自炊しようと思った。この日はとりあえずパンと牛乳、バターやハムなど簡単な朝食を食べれるだけのもの購入。

宿に帰ってからは先ず蚊帳をセットした。窓枠や家具などに適当に紐でつなげた。蚊はまだ見てないけど、これで一安心である。近くのレストランに出向いてハンバーガーを購入。可もなく不可もなくといっ た味。今日は一日中歩き回ってヘトヘトだったので夜は爆睡だった。


2日目。
今日は休養。ほとんど寝てすごした。昨日買ったパンと牛乳の朝ごはんを食べてから宿のネットカフェでメールチェック。一応日本語も表示された。軽い頭痛に悩まされながらも荷物を整理した。日本から手首にはめる蚊よけのリングを持ってきたはずが、無い。しょっく。蚊よけグッズは他にもあるからいいのだが。

が、しかし。夕方、一階でメールチェックをしてたら、蚊に刺された。しかも4箇所。しまった。とはいえどうしようもない。刺されたから自動的に感染するわけでもない。まず、蚊がハマダラ蚊であった。その蚊がマラリアを持っていた。そのマラリアが感染した。この3つの条件を満たさなければならない。
ギニアでも数回刺された経験があるが、大丈夫だったもよう。とりあえず薬を飲んでおくしかない。

3日目
今日は初出勤の日。朝はRobertが迎えに来てくれた。オフィスへはタクシーで10分くらい。事務所は結構広くてきれいなところだ。冷房もついてるし。今日は特にやることも無いので、セネガルのPRSP(貧困削減戦略ペーパー)を読んでいた。

昼食はRobertと地元の食堂へ。ギニアでも食べたことのあるセネガル料理。味は悪くは無いが、お腹はあまり沢山食べるなと言っている気がしたので少しだけにしておいた。まあ、そのうち慣れるだろう。ちなみに今日の昼食は140円でした。ちなみに昼食の間、店で流れていたラジオで事務所所長のDr.Syが政治の解説者として喋っていた。

夕方宿に帰って、晩御飯を食べた。1食2500フランで食べられる。今日の献立は牛肉の串焼きとフライドポテト。とサラダ。セネガルの水道水は衛生状態があまり良くないため、絶対に飲むべきではない。その水道水で洗ったサラダもしかり。でも、食べたい。と思い少しだけ食べてみることにした。冒険。まあ、少しずつ腹を慣らしていくべきだろう。

4日目(今日)
前に書いたが、この宿、水が出るのが夜の12時過ぎから朝の5時くらいまで。というわけで、朝の4時くらいに起きてシャワーを浴びた。お湯も豊富に出るのでかなり心地よい。そしてまた寝た。

7時に起きてパンと牛乳の朝食を摂る。トイレに行ったら意外と快便。一安心である。そして今日は初、一人でタクシーを拾ってオフィスへ。こちらのタクシー、メーターが無いため、料金は乗る前に交渉することになる。当然、外国人とみるや、ふっかけてくる。が、今朝は意外とすんなり相場(750フラン)
まで引き下げることができた。

これからDr.Syとリサーチの手法、方向性について協議する予定。彼は本当に顔が広いのでとっても頼りになりそうだ。

2005/08/06

Departure

ついに明日セネガルへ向けて出発します。

この2ヶ月は実家に住みながら、平日はインターンをして休日は友人と遊んで、というかなりきまま、かつ楽しい生活でした。次の4ヶ月は自分にとって結構なチャレンジだと思っています。アフリカ自体は初めてでは無いものの、そこに住むのは初めて。しかも一人。会ったことある知り合いはいません。知らない土地、知らない文化。でもこれを乗り越えれば、また一歩自分が成長できるような気がします。昔行った、カナダの高校に留学する前も似たような気分&考えをしていました。

向こうでお世話になるNGOはAid Transparencyというところです。完全にローカルの組織です。まあ、まず死ぬことはないだろうし、なんとかなるでしょう、と楽観的に考えています。全然まとまりませんが、行ってまいります(汗)