2005/04/23

歴史問題

最近の中国の反日デモを受けて、日本人としてどう考えているのかを訊かれることが多くなってきました。ぶっちゃけ疲れます。特に中国人、韓国人の友達と話すときはかなり気を使います。基本的な姿勢としては、教育は人格を形成する上で非常に重要な役割を果たすものであり、自国民をどのように教育するかは国家の純然たる権利であると理解しています。だから簡単に言えば内政干渉するな、口出すなという立場をとっています。

これに対して中国人の友達は侵略を肯定する教育を施せば、将来同様の事が起きる、と真剣に考えています。まず、新しい歴史教科書が侵略を肯定しているのか、という点ですが、どうなんでしょう?僕はまだ「つくる会」の教科書を通しで読んではいません。これに反対している人たちも読んだことのある人はあまりいないと思います。日本語なんて超マイナー言語ですから。賛成も反対もマスコミの流す論評に踊らされている感が否めません。まず問題となっているものを自分で読んでから判断するべきでしょう。さきほど、「通しで読んではいない」と書いたのは、ウェブで公開されている一部を読んだという意味です。 これを読む限り戦争・侵略を肯定・賛美している節は見当たりません。ちなみにロサンゼルス・タイムズ紙社説は、「中国は日本が帝国主義に戻らないことを知っており、歴史問題は日本を威圧するためのこん棒」との見方を示したとのことです。(Source) 

また同紙は「共産党指導部を最も当惑させるのは、日本による真の謝罪」と述べているらしい。これを裏付けるようなことがありました。というのも最近、色々な視点から情報を得るため、日本のニュース(朝日、読売、毎日)に加え、韓国の朝鮮日報ならびに中国の新華通信に目を通しています(両方とももちろん日本語で)。先日のバンドン会議で小泉首相が発した謝罪表明、日本のメディアと朝鮮日報はトップページに掲載していました(朝鮮日報は現在進行形)。が、中国の新華通信、全く報道せず。胡錦濤主席の声明のみを伝えています。何故でしょうね。あ、でも町村外相発言の曲解報道は逆でしたね。うーん、不可解。

最後に気分転換。キャンパスで枝垂桜を発見!

春だー!

2005/04/21

ひさしぶりにウェブログ

地元がニュースになりました。

ツツジ1万5千株、見ごろに 神奈川・葉山(asahi.com)
小学生の頃、放課後に「泥警」して遊んだりした花の木公園。
うーん、懐かしい。

Ithacaも木々に緑が増え、春らしくなってきています。

2005/04/17

Winetour

ここIthacaの数少ない観光資源の一つがCayuga Lake周辺に点在するワイナリーです。今日は寮が主催するワインツアーに行って来ました。てか、こんな寒いところで葡萄は育つの?って思ったけど、確かにナイアガラ周辺とかもワインがちょっと有名だったな、と。

最初に着いたのがSheldrake Winery。97年創設、出来たばっかりです。フランスで見た歴史のあるワイナリーとは雰囲気が違いました。今日の天気は最高だったけれど、やはりというか葡萄はまだ枯れてました。半分聞き流してたスタッフの説明によると湖が保温効果を発揮しているおかげで葡萄が死なずに済むとかなんとか。

そしてテイスティング。はっきり言ってあまりワインは好きでも無いし、味もよくわからない。ビールと芋焼酎があればOKな人間なので。ま、でも面白かったです。4箇所のワイナリーを周って、それぞれで10種類くらいずつ試飲。どこも結構小さい感じなのに色々つくるんだなぁ、と。最後に今晩招待されているディナー用にお土産を一本買ってワインツアーは終了。

その後、Taughannock Fallに寄り道。高さは215フィートで前述のナイアガラより高いとか。氷河の爪あとらしいです。壮観。Ithacaに遊びに来る際は是非お立ち寄りください。

2005/04/13

Dr. Gro Harlem Brundtland

1984年にかの有名な報告書「Our Common Future」をまとめ、「持続可能な開発」の概念を打ち立てた「ブルントラント委員会」。もとは「環境と開発に関する世界委員会(WCED)」といったのを、委員長のDr. Brundtlandの名をとってそう名づけられました(参考URL)。

そのDr. Brundtlandt。なんと、今度うちの大学で講演するとか!なんというか、自分の中ではほとんど概念上の人物と化していたので、かなりビックリしました。「実在するんだ?!そして生きてるんだ?!!」みたいな。
なんにせよ楽しみです。

2005/04/12

キャラ

個人主義だが人恋しく、一人にして欲しいけど無視はされたくない。引っ込み思案なくせに人前に出たがり、神経質なわりには大雑把。大らかなようでせっかち。こだわっているようで無頓着。アグレッシブ&センシティブ。といった様々な矛盾を抱えて生きている。

『三谷幸喜のありふれた生活』より

本を読んだわけではなく、引用のまた引用。自分にもよくあてはまってると思います。人はよく「あいつは○○だ!」と他人の性格(だけじゃないけど)を決め付けたがります。そういうのに対して思うのは「まあ、そういう面もあることはあるよね。」ということ。状況によって人の反応は色々と違ってくるし。

あまり、まとまらないけど、とりあえず最初の引用文を書きたかったんです。はい。

2005/04/11

Ithaca Project

めっきり暖かくなってきました。15℃を超えることもしばしば。加えて夏時間が始まったので夜7時過ぎまで明るく、なんだかいい気分です。ただ春眠暁を覚えず、とはよく言ったものだと思います。

ところで、今Cost Benefit Analysis(費用便益分析)っていうのを勉強しています。好きなトピックを選んで行うグループワークを始めるにあたって、メンバーの一人がIthaca市の市長に「費用便益分析が必要な題材はありませんか?やる気と能力アリの学生が無料でやって差し上げます。」みたいな内容のメールを書いたんです。そしたら、そのメールが市の都市計画課に回り、なんとDowntownの調査をやってみないか?という話になりました。 メンバー、一同興奮。教授のゴーサインも得ました。

結論から言うと、授業課題の範疇には収まらず、課外プロジェクトとして遂行することに。内容は市がDowntownの商業地区に対する支出、つまり税制補助や駐車場等施設の維持管理費、などに対してDowntownがどれだけの利益を生み出しているのか、を調査・集計するものです。Cost Benefit Analysisというよりは、単純なFiscal Analysisになりそうです。既に都市計画課と2度のミーティングを行い、必要データの洗い出し、それらの入手元および方法の整理を行いました。

それにしても、学生の要望にさくっと応えてくれた市長、そしてプロジェクトチームを組んでくれた都市計画課に驚き&感謝です。学生を信頼してくれてるんですね。たぶん。日本じゃちょっと考えられない。なんにしてもRealなプロジェクトですから。いい経験になると思っています。

2005/04/08

Los Angeles 3月24日(木)

午前中はKorean Marketに買い物へ。韓国特有のものを置いているというよりは、「韓国のスーパーをそのまま持ってきた」という感じです。生鮮食品や生活雑貨など、生活に必要なものはほとんどここで揃う。日本食品も少し売ってたけど、かなり高めの値段設定だったので、唯一買ったのはおさつのポテトチップス。

Juneの家でお昼にKorean BBQを頂いてから、車で念願の(?!)ハリウッドへ。丘の上のHOLLY WOODのサインが見えたときはちょっと感動した。初めて自由の女神を見たときと同じ感覚(笑)。特に何を見るでもなくメインストリートを歩いたのちに、Rodeo Driveへ。ストリートの両側にはTiffanyやらChanelやら思いつく限りの高級ショップが立ち並んでいます。我々はお呼びで無いので、車で通り抜けただけで満足。海へ向かいました。

が、ここでロスの名物?渋滞につかまりました。郊外に向けて低密度の拡大を続けた都市の問題点です。5車線のハイウェイをのろのろと走ることで、Urban Sprawlとロスの都市形態を実感。授業で何度か話には出てきたんですが、想像するのと体験するのでは大違い。いい経験になりました。

ようやくたどり着いたHermosa BeachのBarで地ビールとシーフードを堪能。桟橋を散歩してから、この日はJuneの家に泊めてもらいました。旅行はこれでおしまい。翌日早朝の便でIthacaに帰りました。楽しかった!是非また行きたいと思います。

Los Angeles 3月23日(水)

San Francisco最終日。飛行場へ向かう途中のTodai(灯台)っていうバイキングレストランで昼食。日本食をメインにした食べ放題の店です。揚げ物、サラダ、煮物やラーメン、はたまた握り寿司まで!味はそこそこ、値段もそこそこ。満足でした。まあ、寿司はCornellのカフェテリアでも売ってるんですけどね。

昼過ぎの便でLos Angelesへ。一時間弱のフライトでした。それでも同じ州の中。やっぱりでかい。アメリカの都市が郊外に向けてスプロールする現象は色々と理論付けがされていますが、やっぱり土地があるっていうのが大きな要因なんじゃないかな、と。

ロスに住んでるJuneの家族に出迎えてもらい、Laiとホテルにチェックイン。程近い距離のManhattan Beachまで散歩に行きました。夕日こそ逃したものの、久しぶりの海岸。最高です。Juneは風が強いってぼやいてたけど、僕は風が吹けばテンションが上がる変な集団に属してましたから。海&風で一気に元気になります。

その後、USCで建築の勉強をしている高校時代の友達Rayと再会。卒業以来だったけれど相変わらずのナイスガイでした。こちらに遊びに来ていた彼の家族とみんなでいわゆるアメリカ料理を堪能。ご馳走になっちゃいました。次に会うのはNYか日本か。楽しみです。

23時ごろホテルへ戻り、次の日提出の課題の最終仕上げ。内容は西アフリカの植民地時代における教育の発展です。現地民を統制・同化する目的で実施されたフランスの教育が如何に後の独立・解放につながっていったか、ということをまとめました。満足の行くものに仕上がったのが朝の4時頃。ついに僕も解放されました。

2005/04/06

San Francisco 3月22日(火)

さてこの旅の間、悩みの種だったのが、アフリカの教育と開発の課題。旅行前に終わらせればよかったのですが、提出期限が24日に設定されていたため、先延ばし癖のひどい僕には無理でした。というわけで、この日の午前中はレポートを書くのに費やし、午後からU.C. Berkeleyに遊びに行きました。

天気はあいにく雨。とりあえずカレッジタウンで昼食。その後、古着屋を物色中に「これいいな」と思ったカーディガン。一緒にいたJuneも「それすごいYukiっぽい」って言うから購入。22ドル也。Ithacaとは違い、色んな店があって、ちょっと羨ましいです。 出願だけでもすればよかったかなー、とちょっと思いました。ま、無理だったろうけど。

バークレーのカレッジショップを見てからキャンパスへ。Cornellとの一番の違いは木々が緑なこと(笑)。Cornellの木は現在も枯れたままです。やっぱり暖かいと違うんですね。ざっと見て回ってから鐘楼に登りました。高さ307フィート(90mくらい?)、鐘付きの時計台としては世界で3番目の大きさらしい。鐘も大きなものは4トン近くあるらしいです。塔の上からの景色。曇っていたものの、中々でした。遠くに金門橋も見えたし。

やっぱりSan Francisco好きかも。ここなら住んでもいいかなって思いました。