物乞いビジネス
ちょっと前に物乞いについて書きました。物乞いしかできない、ってどんな気持ちだろう、と。しかし聞くところによると、どうやら思い違いをしていたようです。なんとセネガルにおいては物乞いがある種のビジネスとして成立していると言うんです。
これはDr.Syから聞いた話です。彼の家があるのは比較的裕福な人が住む地区。その近くにある墓地にお墓参りに来る人をターゲットにする物乞いが多く、これに対し「こんなに物乞いが多いとイメージが悪くなり、土地評価額が下がってしまう」と苦情を述べる地域住民がいました。
当時、地区の町内会長だったDr.Syは物乞いたちと交渉をしに行きました。その内容は「初期投資費用をあげるから、八百屋とか果物屋とか普通の商売をして物乞いを止めてくれないか」というもの。物乞いたちはその提案を持ち帰って検討した後、こんな結論を出したそうです。
「八百屋なんかより物乞いをした方がよっぽど稼げるから却下」
セネガル人のほとんどがイスラム教徒。その教えの一つが喜捨。恵まれないものに分け与えよ、というものです。物乞いに言わせれば、人々に喜捨の機会を与えてやっている、といったところです。事実、「2日間だれかに物をあげないで過ごしたら気が狂いそうになる」といった人もいました。
というわけで、物乞いはある意味サービス業として成立しているようです。中にはタクシーで特定の場所に毎日「通勤」している物乞いもいるとか。さらに言えば、セネガルは物乞いの稼ぎがよいので、わざわざ他の国から出稼ぎにくる物乞いもいるらしい。ちなみにお隣の国、マリには物乞いの協会が存在しているとのことです。
もちろん、全ての物乞いが自分でその道を選んだとは思えません。が、少なくとも表面を見ただけでは分からないこともあるんだな、ということを再確認した次第です。
これはDr.Syから聞いた話です。彼の家があるのは比較的裕福な人が住む地区。その近くにある墓地にお墓参りに来る人をターゲットにする物乞いが多く、これに対し「こんなに物乞いが多いとイメージが悪くなり、土地評価額が下がってしまう」と苦情を述べる地域住民がいました。
当時、地区の町内会長だったDr.Syは物乞いたちと交渉をしに行きました。その内容は「初期投資費用をあげるから、八百屋とか果物屋とか普通の商売をして物乞いを止めてくれないか」というもの。物乞いたちはその提案を持ち帰って検討した後、こんな結論を出したそうです。
「八百屋なんかより物乞いをした方がよっぽど稼げるから却下」
セネガル人のほとんどがイスラム教徒。その教えの一つが喜捨。恵まれないものに分け与えよ、というものです。物乞いに言わせれば、人々に喜捨の機会を与えてやっている、といったところです。事実、「2日間だれかに物をあげないで過ごしたら気が狂いそうになる」といった人もいました。
というわけで、物乞いはある意味サービス業として成立しているようです。中にはタクシーで特定の場所に毎日「通勤」している物乞いもいるとか。さらに言えば、セネガルは物乞いの稼ぎがよいので、わざわざ他の国から出稼ぎにくる物乞いもいるらしい。ちなみにお隣の国、マリには物乞いの協会が存在しているとのことです。
もちろん、全ての物乞いが自分でその道を選んだとは思えません。が、少なくとも表面を見ただけでは分からないこともあるんだな、ということを再確認した次第です。